独り言 その2/神事にケチをつけるとはどういう了見なのか?

子供のころの遊びに、どうしても入ってきてしまうのが、小動物や昆虫系の虐待/無差別殺戮である。
セミをとっ捕まえるのだって、短いセミの一生からしてみれば不本意なことだし、自由研究と称してショウジョウバエを大量に繁殖させた挙句、全滅させたときは、さすがに私自身も戦慄が走ってしまった。

虫だから、で済む問題でもないのだが、こうしたことを経験として踏まえつつ、大人になっていき、命の尊さや大切さ/死をもって誰かが生かされるということも学んでいくのである。

動物愛護団体にいる人たちにしても、基礎的な学習はもちろんのこと、そのほとんどが最高学府と言える大学卒であろう。しかし、この抗議文を見て、この人たち、いったい何を学んできたのか、また、こんなことしか考えられない人たちがいることに愕然としてしまう。
→またしても保守速報さんから。この抗議文を出している動物愛護団体の背後にいるとみられる人たちをこのスレでは暴いているのだが…。まあ、揃いも揃って、の顔ぶれwwww

百歩譲って、彼ら国会議員は、せいぜい後見人程度であり、団体の活動や思想には触れていないとしよう。そうであっても、日本古来の神事にクレームをつけることに対して、この人たちは、少なくとも「いや、それは違うよ」「神事と虐待を一緒にしてると馬鹿にされるよ」「日本以外でも生きた動物をいけにえにする儀式ってあるけど、それにも文句言うつもり?」などと畳みかけ、自分たちがしようとしていることの愚かさを気付かせるべき立場にいると考える。
もしそれができないようであるならば、即刻この団体とは手を切るべきであり、すべての殺戮事案を虐待というのなら、一切の食物を食べないで生きていくしか道はないといえる(彼らがもし肉食しているのなら、すでに論理破たん。ベジタリアンだったとしても、お米だって、わざわざ根から刈り取って(切断)天日干しした後(紫外線攻撃/日焼けによる低温やけど)もみ殻を分離させられ(バラバラ)、挙句に精米されて(磨きをかける時点で猛烈な摩擦)、研がれて(水没)、最後に炊かれる(熱湯での重度の火傷)のだ。ここまで虐待しているのだから、ご飯なんか食べられないですよねwwwwwww)。

神事は、いわれと伝統/歴史があり、その行為自体にも意味があるのだ。子供がたわむれにカエルを虐殺するのとはわけが違う。結果だけを見て残虐だ、ということにしかならない動物愛護団体の浅薄で上っ面しか見られない論理展開には、閉口せざるを得ない。

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