独り言・その1/教師VS生徒の対決を仕切ってみる。

教育指導要領という「錦の御旗」がある以上、そこから逸脱する回答は、たとえ『世の中が正しい』と判断していても、間違いと判断されても仕方ない。テストや学校内では教えられたとおりに回答するのが筋というものである。

では、その指導要領に瑕疵が見つかった・・・世間一般の認識と違うことを教えている、あるいは、意図して間違えや、現状とのずれを訂正しないで教えている…とするならば、どうであろうか?
一義的に教えられていない回答が噴出したときに「ハイ、それはダメぇ」と一刀両断できるものなのだろうか?

今回のバトルの対象になっているのは、「世界第二位の経済大国(爆)」の名称に関してである。
保守速報さんの記事より


この生徒さん、勇気ある行動に出た。指導要領では決して使われない「支那」という回答を、本来なら中国(中華人民共和国)と書くべきところに書いてしまい、×をつけられているのである。

この後の教師とのバトルについては、記事を読んでいただくとして、私のスタンスとしては「支那と書くべきかもしれないが、テストは正答を書くのが流儀。ここでは百歩譲って支那(中国)と書くか、その逆にすべきだったのに」と悔やまれる。
書いたご本人は、ほぼ確信犯であり、恐らく正解とされなかったら、詰問しようと手ぐすね引いていたのだろう。教師に、それがだめな理由を引き出したところ、支那が差別用語だと間違った認識でいることをさらしあげ。もうこの時点で、指導要領様に引っ張られている感がありありと浮かんでしまう。

というわけで、冒頭に書いたところに戻るのである。指導要領自体は、教師のマニュアルであり、それを逸脱して教えることは、国名一つをとってみても、教師側の反則である。 教科書にも載っていない「支那」が正解にされるのなら、先生は教える必要がなくなってしまう。答案としては、支那を×にしたことは正当性がある。
ところがそのあとがいけない。「支那」は一時期日本も当時の中国を表現していた国号として使っていたものである(支那そば/連合国を表現するときの米英支ソの支は確実に支那のこと)。どこをどうすれば、差別用語という発想になるのか、よくわからない。
Made in China のチャイナはよくて、これのローマ字読みであるシナがだめ、というところがあるあたりも、教師側に不利なところである。東シナ海なんか、モロつかえなくなるのに教えることができるのはどういうことなのか…

生徒の問題提起は、正直素晴らしい。成績云々、○×ではなく、筋を通そうとするところに一種の男気を感じる。そして、よもやのしどろもどろの対応になり、へたに「差別」という言葉を使ってしまったがために、えらいことになってしまっている教師側の浅薄な知識というものに、そして、指導要領のほころびを感じさせる出来事に、戦後70年の呪縛から解き放たれようとしている人々が確実に増えていることを感じずにはいられない。

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