2月の沖縄旅行ご報告 番外編 「あの店は今」
旅先で思いを馳せること。それは「隆盛を極めたダイエー各店のその後」である。
いうまでもなく、日本全国に一店でも設置したスーパーはダイエー以外になく、その後の店舗縮小で、東北/北陸/中国/山陰/四国/沖縄の店舗を放棄するに至ってしまったのである。
とはいえ、沖縄へのダイエー出店は当時としてはまさに青天の霹靂だったそうである。結果的に直営としての出店ではなく「ダイナハ」という企業を作ってでないと出店できなかったのだから、相当な紆余曲折があっただろうことは想像に難くない。
さて、今回はドライブがてら、閉鎖した5店舗のうちの4店舗を網羅し、以前に閉鎖後の状況を捉えた那覇店を含めてすべて写真に収められた。廃線ファンがいるのと同様に閉鎖店ファンがいても不思議はないと思うのだがw
・糸満店
唯一他企業の軍門に下らず、廃墟のまま、建物も存置した状態の店舗。スーパーがいなくなると回りも急速に寂れていくのだが、ここはまさにその縮図のような体を見せていた。
・浦添店→りうぼう 浦添店
国道58号線にちょっと入っただけの場所だけに、そもそも廃墟になるはずがない。立地的には申し分なく、世が世なら、まだダイエーとして十分やっていけると思われた。
・泡瀬店→タウンプラザかねひで ショッパーズあわせ店
建物の概観はまさにダイエーそのもの。おまけに痕跡がないかと思って裏口に回ると、従業員入り口の掲示物に今でもDAIEIの文字が見て取れた。ちなみに店名の「ショッパーズ」はダイエーが規模の大きめな店舗につける冠であり、名残を残しているあたり、買い取った企業さんのリスペクト振りがうかがえる。
・Kou'sネーブルカデナ店→ホームセンターネーブルカデナ店(かねひで)
かなり大規模な商業集積地。出店当時は会員制のホールセールクラブとして立地していた。かねひで唯一のホームセンターとして存在しているが、一部はタウンプラザになっている(これのみ、写真は2008年撮影分)。
いうまでもなく、日本全国に一店でも設置したスーパーはダイエー以外になく、その後の店舗縮小で、東北/北陸/中国/山陰/四国/沖縄の店舗を放棄するに至ってしまったのである。
とはいえ、沖縄へのダイエー出店は当時としてはまさに青天の霹靂だったそうである。結果的に直営としての出店ではなく「ダイナハ」という企業を作ってでないと出店できなかったのだから、相当な紆余曲折があっただろうことは想像に難くない。
さて、今回はドライブがてら、閉鎖した5店舗のうちの4店舗を網羅し、以前に閉鎖後の状況を捉えた那覇店を含めてすべて写真に収められた。廃線ファンがいるのと同様に閉鎖店ファンがいても不思議はないと思うのだがw
・糸満店
唯一他企業の軍門に下らず、廃墟のまま、建物も存置した状態の店舗。スーパーがいなくなると回りも急速に寂れていくのだが、ここはまさにその縮図のような体を見せていた。
・浦添店→りうぼう 浦添店
国道58号線にちょっと入っただけの場所だけに、そもそも廃墟になるはずがない。立地的には申し分なく、世が世なら、まだダイエーとして十分やっていけると思われた。
・泡瀬店→タウンプラザかねひで ショッパーズあわせ店
建物の概観はまさにダイエーそのもの。おまけに痕跡がないかと思って裏口に回ると、従業員入り口の掲示物に今でもDAIEIの文字が見て取れた。ちなみに店名の「ショッパーズ」はダイエーが規模の大きめな店舗につける冠であり、名残を残しているあたり、買い取った企業さんのリスペクト振りがうかがえる。
・Kou'sネーブルカデナ店→ホームセンターネーブルカデナ店(かねひで)
かなり大規模な商業集積地。出店当時は会員制のホールセールクラブとして立地していた。かねひで唯一のホームセンターとして存在しているが、一部はタウンプラザになっている(これのみ、写真は2008年撮影分)。
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