今日はちょっと重い話を・・・。

 8月9日といえば、長崎に原子爆弾が投下された日である。
 終戦を決定付けた一撃といわれる反面、すでに死に体の日本に必要以上の攻撃だったのではないかという意見もある。そもそも犠牲者は非戦闘員である市民だ。そしてその悲惨さが伝わる一方で、水爆など、核兵器は数も規模もエスカレート。地球を何十回も破滅させられるだけの量があるといわれている。
 
 「核兵器」についてもいろいろ言いたいのだが、今日この日に私が書きたいのは、「日本も加害国であり被害国である」という点である。必要以上に東南アジアの国々や中国/韓国などに平謝りを続けているのだが、原爆を落としたアメリカに、この件について謝罪を求めたということが私の記憶ではない。沖縄戦にしてもそうだ。
 ではこのことがなぜ行われていないか?そもそも、サンフランシスコ講和条約で日本が国際社会に復帰する際に、これまでの戦争犯罪等々は一切「無かったものになっている」ということもある。それは国連を通じ、当事国の間で調印されているから、日本がとやかく言わないのは、そのことが原因している。しかし、そうであるならば、日本と戦った、もしくは占領されたり戦場となった諸外国に関しても、「戦争に関する賠償」であるとか、「謝罪要求」という行為は、「すんだことの蒸し返し」以外の何者でもないわけである。しかし、日本は、やれ中国が、韓国ががなれば、「どうしようか」と世論までもが分裂してしまう。
 つまり、日本は、いまだに敗戦国という無いはずの十字架を背負い続けている、奇妙な国なのである。だから、戦争で尊い犠牲を払って国を護った人びとが祀られている靖国神社に、東京裁判で裁かれた、A級戦犯も一緒にいるからという理由で、参拝は気に入らない、と「外国」に言われて、腰砕けになってしまうのだ。諸外国がどう思おうとこの際どうでもいい。むしろ、彼らが言っていることにどれほどの「正当性があるか」を見極めるだけの眼力を備えることが肝要である。
 しかし、振り返って日本という国は、どうだろう?確かに復興もしたし、援助にも積極的だし、国際貢献に金も人も出している。なのに、国民がアイデンティティーを失ってしまったように思えて仕方ない。どうして日本は、こんな外国の意見に振り回される(中韓だけでなく、アメリカも然り)国になってしまったのか、よくよく反省するべきときに来たと思う。
 ときあたかも総裁選が目前に迫り、このことも争点になろうとしている。日本が進むべき道を、自民党員だけで決めてしまうことに、一抹の不安は隠せないが、この選択は、まさに日本の将来を占うことになりそうである。

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